「 雲谷の頓慶と七鬼面 」
桓武天皇は、坂上田村麿を征夷大将軍に任じ、陸奥みちのくへと攻め入った。 この「蝦夷えぞ征伐」に対し、津軽の地で徹底抗戦したのが、糠檀こうだの嶽だけ(八甲田山)の女酉長・阿屋須おやすと弟・雲谷もやの頓慶とんけいである。 胡笳こさという草笛を吹き鳴らしては、あたりに不思議な濃霧を広げ、毒矢を射返すという、神出鬼没な二人の反撃はおおいに田村麿を悩ませた。 しかし、田村麿は北天に悪鬼退散の祈願をして寝たその夜、夢枕に北斗七星が現れて七枚の鬼面を授かる事になった。 そして、この面をもっての攻撃には、さしもの阿屋須も、討ち取られてしまう。 阿屋須なきあと、一人頑強に潜伏し戦い続けた頓慶も、七鬼面の軍に攻めたてられ、抗戦むなしくついに力尽きてしまった。 「茨葎いばらむぐらの上駆けること恰あたかも平地を走るが如し、足地に付かず所謂いわゆる飛禽ひきんの如し」という、「天魔の化身」雲谷の頓慶。 七鬼面を前に、最期の奮戦をするその勇姿に、郷土の豊かな発展を願うものである。
尚、蝦夷平定の後、田村麿はこの鬼面を納めて妙見社として崇め祠ったという。 これが、現在の大星神社であり、宝物として残されている古面(青森市有形文化財)は、この時の田村麿縁ゆかりのものとして今に伝えられている
解説/竹浪 比呂央