青森港は寛永元年(一六二四年)に築かれ、翌寛永二年に開港している。 それまでの津軽領の港は、いづれも西廻り航路の小規模なものでしかなかったため、藩政の確立で領国経済の発展を図るためには、東廻り航路に適した、より大きな外港を建設する必要があった。 津軽二代藩主・信枚は、森山弥七郎信真を開港奉行に任じ、築港を進めた。 当初、大浜(現・青森市油川)の拡張も考えられたが、大浜が遠浅である事、また陸上輸送の便利さから、かつて外ヶ浜の一寒村にすぎなかった善知鳥村を開港し、名も青森村と改め、派立(町割り)が行なわれたのである。 この時に始まる青森が、明治三十一年(一八九八年)市制施行により青森市となり、現在では、人口三十万を抱える北東北の拠点都市として本年(一九九八年)めでたく百周年を迎えたのである。 開港を寿ぐ五色龍王の守護の下、采配を揮う弥七郎の勇姿に県都・青森市の益々の発展を祈るものである。 尚、青森開港後、弥七郎は「外ヶ浜奉行」「青森倉廩奉行」などを勤め、寛文六年(一六六六年)中師(現・蟹田町)に於て九十三年の生涯を終えている。 又、二代目弥七郎以後は、代々油川に屋敷を構え、「油川湊目付」を勤めるなどこの地方の開墾に尽力し、恩恵を与えた。 油川浄満寺境内には弥七郎碑(青森市有形文化財)があり、毎年八月三日には、盛大に供養祭が行なわれるなど、油川町民によって数百年来絶やさず香華が手向けられている。 |