「 亀ヶ岡 幻想 」
縄文時代晩期(今から約2300~3000年前)東北北部に極めて高度な技術を持った文化があった。 亀ヶ岡文化といわれるものである。 その中心である亀ヶ岡遺跡は、日本海岸七里長浜と津軽平野の間にある屏風山の一角をなす、青森県木造町館岡丘陵に所在する。 ここは江戸時代より知られており、元和八年(1622年)津軽二代藩主信枚公がこの地に築城を計画、工事を始めたところ多くの土器類が発見され、さらに「永禄日記」には瓶が多く出ることから「かめがおか」の地名の由来があると記されている。 また、当時この珍しい出土品が江戸・長崎・遠くオランダにまで輸出されたという記録も残っている。
この遺跡からは、漆塗りの装飾性の高い土器・石器・骨角器を始め、人々が生と死、病気やけが、天災などによる恐れや不安を解消すべく、呪術やまつりを行い(ねぶたの場面)その祭祀具の一つとされる土偶や土面も出土している。 中でも容貌がイヌイットの日よけメガネに似ているところからその名がついたとされる「遮光器土偶」は学術上世界的に著名である。
華美な文様と精錬された芸術的な造形感覚、進んだ技術に裏打ちされた文化と呪術の根強い社会は、まさに約一万年をかけて発展した日本の縄文文化の到達点といえるのである。
先人の高度な文化レベルを想像し、二十一世紀を迎えた今、我々も新たなエネルギーを世界に向けて発信してゆきたいものである。
解説/竹浪 比呂央