「 阿倍比羅夫あべのひらふ 津軽深浦に立つ 」
『日本書紀』によると七世紀後半、越国こしのくに(現在の石川から新潟あたり)の国司であった阿倍比羅夫が、一八〇~二〇〇隻の水軍を率いて、数回にわたり日本海側の地域を北征したとの記述がある。
齶田あぎた(秋田)、渟代ぬしろ(能代)、さらに津軽方面を平定し、これらの地方に中央政府の根拠地を確保した比羅夫は、有間浜ありまはまに渡島わたりしまの蝦夷らを召集して大饗したという。
西津軽郡深浦町には、東川あずまがわの河口“吾妻浜あずまはま”こそ、このときの有間浜であるという伝説が残っている。
風が風を呼び、波は岩礁いわを叩たたいて砕け散る。天翔ける龍王の守護の下、津軽深浦・有間浜に立つ阿倍比羅夫の勇姿である。
解説/竹浪 比呂央